ODAWARA ART FOUNDATION

2015年08月11日

―『春の便り』によせて―  杉本博司の言葉を掲載しました 事業

朗読劇『春の便り ~能「巣鴨塚」より~』は、杉本博司の書き下ろし作品である修羅能「巣鴨塚」公演化の制作途上プロジェクトとして行われるものです。

作者・杉本博司が『春の便り』に寄せたコメントを発表しました。

「春の便り」によせて                杉本博司

朗読劇『春の便り』は、能『巣鴨塚』のプロットとして書かれた。

言うまでもない事だが、能という演劇形式の最大の特徴は、登場人物の霊が時間を超越して現れ得ることである。私はこの手法を使って、先の大戦の記憶を、能の形式に置き換えておきたいと思った。我が国では、歴史は能という形式となって、はじめて語り継がれる歴史となる。

今、あの敗戦から七十年という歳月が流れた。その時の流れは、壇ノ浦の平家滅亡から時を経て、鎌倉期に平曲として語られ始めた、その時の流れとほぼ一致する。あまりにも生々しい歴史は、時間の濾過を通してのみ、物語へと昇華するのだ。私は今、その濾過の時が到来したのだと感じる。

「春の便り」とは「ハルノート」を指す。私はA級戦犯として巣鴨に刑死した板垣征四郎の遺言を、謡曲として謡ってみたいと思った。その長文の遺言は漢詩として書かれている。板垣の霊は、焦土と化した祖国の獄中で、この国に春の便りが二度と届かないことを乞い願う。その板垣の願い通り、この国は永遠の冬に閉塞された国として、今、生息している。

盲目の僧の琵琶の音が、どこからともなく聞こえてくるようだ。